金沢 いっさか
金沢美大の授業が早めに終わったので、
金沢の石坂、通称いっさかと呼ばれる遊郭跡地を訪れてみました。
金沢は東茶屋街、西茶屋街という格式の高い茶屋街があり訪れる人も多く観光地化されていますが、いっさかは西茶屋街の裏手にある路地が入り組んだ場所にひっそりとあります。今では古い建物はなくなり寂れてしまっていますが、昭和の初めころには庶民のための赤線として栄えていた場所です。
西茶屋街の裏の坂道を下ると、生活用水路があり、その向こう側がいっさかです。
流れる水はとても綺麗でした。
用水路はまるで向こうとこちらをしきる結界のようでもあり、小さな橋を渡ると、なんとも言えないずっしりと重たい空気が流れて、人気のない不思議な風景が現れるのです。
住宅街の中にあるマンションの薄暗い1階の奥では、ドアを開け放して客を待つ店もありました。
作品が私の墓である
「如何なる世が現われ様とも 私はただ一人の創意ある芸に一命を捧げて来た
如何なる世が現われ出様とも 死後墓は不要であると 私の考えは作が全生命であり
作品が私の墓であると考えるからである 人に知られぬ 只一人の世界」
ー富本憲吉・製陶余禄よりー
花様年華を見る
監督:ウォン・カーウァイ
出演;トニー・レオン マギー・チャン
制作:2000年 中国香港映画
冬休みの宿題(その二) 鳥取大山日記 青谷へ古美研
遅々として進まない冬休みの宿題のレポート、大山町でのワークショツプが終了後に訪れた鳥取古美研の写真をとりあえずのアップ。
やっとレポートを提出できました!!
最終日28日は、学生たちと一緒に東伯郡東高尾にある観音寺の破損仏と千手観音を拝観しました。大山町から車で1時間くらいの場所です。観音寺の仏像を守るのは集落の方でしたが、ほとんど限界集落という若い人たちがいない土地で、今後のお寺の存続と保存が危ぶまれているそうです。
昭和初期か大正時代に描かれたのでしょうか、作者不詳の美しい天井画を思いがけず見れたことも大収穫でした。その後は倉吉を抜けて、青谷にある手漉き和紙工房を見学。和紙工房の若い職人さんから、いろいろと和紙を漉くことの大変さなどのお話を伺いながら、職人さんが漉いた和紙をプレゼントしていただきました。
職人さん、かなりのイケメンでした、
私「どうして手漉き和紙職人になったのですか?」
彼「いやー、いろいろとあって一言では言えないです。」
今から40年ほど前でしょうか、私の学生時代に、山陰地方を一人で旅をしたことがあり、その際に青谷の和紙工房を訪れたことがあります。工房で和紙を買って、木造の小さな青谷駅で山陰本線を待っているうちに、うっかり大事な和紙を駅に忘れてきてしまってがっかりした思い出があります、なので、今回、若い職人さんから和紙をいただいたのがとても嬉しかったのです。
これからも手漉き和紙職人さんに頑張って欲しいです。
短い時間でしたが、鳥取の歴史と風土の奥深さを垣間見ることができて、学生たちと一緒に楽しい古美術研修となりました。
今後に、滞在型旅するムサビを実施するときは、こうした古美術研修も合わせて行うことで、その土地の文化や風土をより深く学ぶことも大切だと思うのでした。
観音寺の屋根瓦は石州瓦と言って、この土地の瓦は皆赤い色をしているそうです。
観音寺の破損仏が素晴らしい、私は破損仏がとても好きで、各地の破損仏を訪ね歩いています。
手漉工房の隣の和紙を乾燥させる場所、熱い鉄板に漉いた和紙を貼り付けて乾燥させます。夏場は室温が40度以上になるそうですが、和紙に埃をつけないために夏場でも窓は締め切って作業が行われるそうで、時々熱中症になるとか、凄まじい現場から和紙は生まれるのですよね。職人さんのお母様がこの仕事をなさってて、そんなお話も伺えて、学生たちも私も感動!!
職人さんの佇まいにうっとり、素敵でした!!和紙をどうもありがとうございました。
青谷の集落、この辺りは日置地区と言われて、青谷和紙工房を中心として15軒ほどの小さな手漉工房が点在する、石州瓦の家並みがある静かで美しい場所です。
私たちが訪れた若い職人さんの工房は「谷口製紙工場」という工房でした。
沖縄のハブ
国頭村の宿屋に飾られていたハブの皮。宿のご主人がハブを捕獲した後に剥がした皮、身は食べたと言ってました。
たまには毒を持つ生き物を喰らった方が、体のためにはいいとか。
美味しいよと言われたけど、たぶん私には無理かな。
そうえいば、琉球新報や沖縄タイムスなど沖縄の新聞は「紙ハブ」と言われてて、
つまり、
無謀な時の権力へ対抗、噛みついてる、とのことからこの呼称がついてるそうです。
ジャーナリズムのあるべき姿ですよね、沖縄の新聞は。
沖縄の人々は暖かくて、底抜けに明るくて、面倒見が良くて、そして人間味があって、今回の滞在でも本当によくしていただきました。
「長い間、辺野古も高江も日本の政府は馬鹿にしている。」
友人が小さく呟いた一言が、私の心に深く突き刺さっているのです。
沖縄の人たちの気持ちを代弁するためにも、「紙ハブ」にこれからも頑張って欲しいですね。