AGURI UCHIDA

画家、内田あぐりのブログ

研究紀要・制作ノートのための覚書 vol.6

 

2019年1月5日撮影、アトリエの朝と夜。

 

素描について。

日本画を描くとき、モデルは目の前にいない。多くのドローイングを引っ張り出してきて、反芻しながら作品を構築していく。植物繊維の絡む和紙、有機的な顔料や岩絵の具、水、膠、そうした素材は私の体質にとてもあっているようで、素材と一体となり貪欲に画面を追求していくことができる。それでも、作品を描くことは自由でありながら、時として不自由な感覚に捕らわれることもある。何故なら、手間のかかる日本画素材のあつかいは、作品へむかうための時間を費やすためもどかしさを感じるからである。

その反面、素描やドローイングはシンプルな素材で直接的に描くので体と感覚が自由に解放され、見ることと描くことの本質に帰ることができる。

素描集ーー内田あぐり ドローイングーーから

 

2019年1月、この時期は朝から晩までドローイングに描かれた人体のフォルムを探し続けていた頃である。昨年末に展覧会のためにドローイングを調査してくれた美術館担当者が、1000枚以上の紙片を年代別に綺麗に整理をしてくれたにもかかわらず、また以前のように年代もバラバラになってアトリエに引きずり出されている。「残丘ーあくがれ」のために参考にしたドローイングは、おそらく1980年代のものからついこの前描いたものまで、様々。兎に角、ドローイングを引っ張り出して、探して見ていた時期である。

 

 

 

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研究紀要・制作ノートのための覚書 vol.3

 

2018年10月14日撮影。

ここまで来るのに下塗り、地塗りをした画面に直接木炭でデッサン。

河のフォルムを試行錯誤しながら、全体の骨格としてのデッサンを取る、このあたりから横画面から縦画面の絵に変更したため、エスキースで構図を考え直し大きく変更。

横画面から縦画面へ変更をした理由には幾つかの偶然の出会いと示唆がある。

2012年に開催された神奈川県立近代美術館葉山の展覧会、国立民族学博物館コレクション「ビーズ イン アフリカ」、美術館メイン会場の中央を斜めに大きく仕切る台座の上で、頭部の作品が一点のみ展示されていたことにとても衝撃を受けました。周囲の壁には何も飾られておらず、ビーズで覆われた顔と頭部の造形がストイックに異彩を放ち存在していた。このころから作品一点でいつか展覧会をしたいと、漠然と考えていたようである。その後、2015年秋に武蔵美美術館で開催された、「マリク書店の光芒」と「池田良二展」の展覧会を葉山の美術館館長でいらっしゃる水沢勉さんと一緒に見た際に、退任展をこの空間ですることになると話をしながら、ここは新作一点で展示、時系列的な展示にしない方が良いねと、水沢さんからアドバイスを受けたことがずっと心に引っかかっていた。

退任展は通常は武蔵美美術館の一番大きなスペースである展示室3のみの展示となり、当初は一部屋だけで考えていたのに、その後に展示室4、アトリウム、と計3つのスペースを使用できることになり、そうなると当然展覧会がスケールアップしてこれまでの一部屋で1点の構成を考え直さなければならなくなってしまった。

水沢さんに今回の展覧会の大きなディレクションを思い切ってお願いをして、そうした中でアドバイスを受けたのがアトリウムへの縦画面の新作によるインスタレーションだった。たしか10月の葉山での水沢さん、美術館担当者との第一回打ち合わせの時だったかしら、この時はすでに横画面の構成で描き始めていたにもかかわらず、その作品の縦長をイメージした瞬間にこの方が今の絵としては面白くなること、できると、とっさに「縦にします」と答えたことを思い出す。

8メートル近い縦長の画面は、私にとって初めての試みでもあり、アトリウムの空間性を思うと、想像をはるかに超える絵でもあり、描いてみたかったということもあるのです。

 

  11月にはアトリウムの8メートルの壁への展示を想定して、美術館担当者が模型とイメージを作ってくれて、少しづつアトリウムの空間性と作品をイメージしながら描き始めた。

縦画面に変更したせいで、ここまでに時間をだいぶ費やしてしまったこと。また、大学の授業や幾つかの他の展覧会のための準備や設営、制作(横浜高島屋、太田市美術館・図書館、BankArt、鳥取県立博物館、武蔵美美術館でのリトグラフの公開制作など)で途中の制作が遅々として進まないうちに10月になる、という時期だったように思う。

 

木炭デッサンの上に墨で骨描き(線描)、墨での骨描きは将来的に作品の絵の具が剥落しても墨の線描はしっかりと残る、墨は画面に喰いつく、という日本画の古典的技法を用いている。

線のフォルムにも抑揚をつけて、均一の線にならないように筆も何種類かの筆を用いて、骨描きの上からはさらに絵具で大きなマッスを意識しながら描いている。

 

 

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DEEP NISHIOGIKUBO

 

武蔵美で開催した展覧会「内田あぐりーー化身、あるいは残丘」のお疲れ様会をしました。展示設営では本当にお世話になったスクエア4のメンバーには心から感謝をしているのです。

私「設営終盤で作品サイズが違ってたのに、すぐに壁を作ってくれて、最後までやり通してくれて、本当にありがとう!」

スクエア4の二人、「おもしろかったです!」「しびれました!」

そんなこと言われたら、もうグッときて、私、この次の作品も頑張るぞー!ってなるやん。

国書刊行会の方も美術館担当者も、小金沢さんも、そして水沢さんも、展覧会ができたのはみなさんの力があったこそです。

 

彫刻や共通彫塑の助手たちも駆けつけてくれて、みんなで楽しい西荻窪の夜でした!

みなさんどうもありがとうございました!

 

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7月6日発売の図書新聞

 

図書新聞に武蔵野美術大学美術館で開催した展覧会の批評を書いていただきました。

執筆なさったのは若き美術史研究者の平井倫行氏。松田修研究者でもあります。

がっつりとした読み応えのある批評、皆様に読んでいただければ嬉しいです。

 

平井倫行氏のご実家は神奈川県真鶴にある貴船神社、以前参拝に訪れた際に、作務衣姿の平井さんが庭箒で境内を掃除していらした姿がとても印象的でした。

 

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