AGURI UCHIDA

画家、内田あぐりのブログ

研究紀要・制作ノートのための覚書 vol.9

 

2019年1月21日撮影。

(膠について)

絵の具は全て膠で溶いて使用している。使用する膠は三千本と鹿膠をブレンドしたもの。下塗りには、姫路・大崎商店で現在作られているオーガニックの膠なども使っている。

膠は動物の皮・骨・筋などを煮た液を乾燥して固め作られたものである。古代エジプトの壁画、インドのミニアチュール、原始絵画は、膠を接着剤として描かれているものが多い。現在では牛から作られる牛膠が多く、その他には魚類の皮や骨から作られた魚膠(にべ膠)がある。膠との付き合いはもう50年になるが、膠と水の分量や溶解の方法、夏場は腐りやすく、冬場はゼラチン質のために固まってしまい、その都度ヒーターで暖めて溶解する、季節によって水と膠の分量が違うなど、けっこう手間暇かかる面倒な接着剤である。私の場合は適量の水に三千本と鹿膠を膠鍋に入れて一昼夜冷蔵庫で寝かせ、翌日にふやけた膠を沸騰させないように湯煎で溶かしている。その後に不純物を取り除くためにガーゼを二重にして漉す。

冬場は冷蔵庫に入れて1週間もつかどうか、あまり長い間冷蔵庫に入れておくと接着力が弱り、ひどい悪臭とカビが生える。溶きたての膠は独特の芳醇な良い匂いがする。夏は朝に作った膠液が夜や翌朝になるとすでに腐っていることもあり、制作の進み具合により使用する膠の分量も増減し、1日に2、3回は膠を煮ることもある。

膠以外の化学的接着剤は容器から液を出してすぐに絵の具と混ぜることができるという利点から、現在では多くの画家たちが使用をしているようだが、私は何度か新しい接着剤を試みてはいるもののなかなかうまくいかず、膠以外に私の表現に添えるものはないと思っている。

膠で溶いた絵の具は、数日経って乾燥して皿に張り付いた絵具も、水を入れてヒーターで暖めながら溶き下すと、また元の状態に戻り使用することができる。また、絵の具皿に残った使い残しの絵の具を「膠抜き」と言って何度もぬるま湯で絵の具を洗い、上澄みを捨てることで膠水のみを洗い流すことができる。その後に乾いた絵の具に新しい膠を入れて溶き下すことができるので、絵の具をまったく無駄にすることがない。

反面、新しい化学的接着剤で溶いた絵具は、こうしたことがまったくできず、絵具は元に戻ることができない。

膠の長所はその性質が水溶性で柔軟性があり、水や岩絵の具、墨、麻紙との相性も良い。膠で溶いた絵の具を塗る、またはマチエールをつけて少し盛り上げるなど、その後完全に絵の具が乾いてからさらに水をかけると膠が元に戻ることで画面は柔軟性を帯び、筆や布で洗ったり、ペインティングナイフなどで削ったりすることができる。

雲肌麻紙へ膠水で溶いた細い顔料や絵の具を塗布すると、水とともに麻紙の繊維にまで絵の具が浸透、あるいは食い込んでいく様を美しいと思う。

化学的接着剤は水を塗布しても元に戻ることができず、定着力は強いが洗いながら絵を作っていく表現が不可能である。アクリル系メディウムもこれと同じである。

腐敗した膠液を捨てる際は土に返す。

膠は接着剤というよりも、動物の体液で描いているという意識が私の中では強いようである。

 

 

f:id:aguriuchida:20190706143007j:plain

 

 

f:id:aguriuchida:20190706143230j:plain

 

この時期、制作の合間を見つけて家の傍を流れる下山川の散歩に出かけることが多くなり、冬にしか見れない川の表情やフォルムにとても惹かれる。

 

 

f:id:aguriuchida:20190706143416j:plain

 

 

f:id:aguriuchida:20190706143513j:plain

 

研究紀要・制作ノートのための覚書 vol.7

 

2019年1月6日撮影、天然真黒焼白緑でたらし込みをする。描いた上に水と絵の具を垂らしこむことで、フォルムの偶然性が生まれる。たらし込みは日本画の古典技法である。

これで数日は絵の具が乾かないので放置、ドライヤーなどで急激に熱を当て乾かすとオートマティズムによる水のフォルムが生まれない。

 

f:id:aguriuchida:20190706123246j:plain

 

 

f:id:aguriuchida:20190706123424j:plain

 

 

f:id:aguriuchida:20190706123542j:plain

 

研究紀要・制作ノートのための覚書 vol.6

 

2019年1月5日撮影、アトリエの朝と夜。

 

素描について。

日本画を描くとき、モデルは目の前にいない。多くのドローイングを引っ張り出してきて、反芻しながら作品を構築していく。植物繊維の絡む和紙、有機的な顔料や岩絵の具、水、膠、そうした素材は私の体質にとてもあっているようで、素材と一体となり貪欲に画面を追求していくことができる。それでも、作品を描くことは自由でありながら、時として不自由な感覚に捕らわれることもある。何故なら、手間のかかる日本画素材のあつかいは、作品へむかうための時間を費やすためもどかしさを感じるからである。

その反面、素描やドローイングはシンプルな素材で直接的に描くので体と感覚が自由に解放され、見ることと描くことの本質に帰ることができる。

素描集ーー内田あぐり ドローイングーーから

 

2019年1月、この時期は朝から晩までドローイングに描かれた人体のフォルムを探し続けていた頃である。昨年末に展覧会のためにドローイングを調査してくれた美術館担当者が、1000枚以上の紙片を年代別に綺麗に整理をしてくれたにもかかわらず、また以前のように年代もバラバラになってアトリエに引きずり出されている。「残丘ーあくがれ」のために参考にしたドローイングは、おそらく1980年代のものからついこの前描いたものまで、様々。兎に角、ドローイングを引っ張り出して、探して見ていた時期である。

 

 

 

f:id:aguriuchida:20190706115851j:plain

 

 

f:id:aguriuchida:20190706120039j:plain

 

 

f:id:aguriuchida:20190706120213j:plain

 

研究紀要・制作ノートのための覚書 vol.3

 

2018年10月14日撮影。

ここまで来るのに下塗り、地塗りをした画面に直接木炭でデッサン。

河のフォルムを試行錯誤しながら、全体の骨格としてのデッサンを取る、このあたりから横画面から縦画面の絵に変更したため、エスキースで構図を考え直し大きく変更。

横画面から縦画面へ変更をした理由には幾つかの偶然の出会いと示唆がある。

2012年に開催された神奈川県立近代美術館葉山の展覧会、国立民族学博物館コレクション「ビーズ イン アフリカ」、美術館メイン会場の中央を斜めに大きく仕切る台座の上で、頭部の作品が一点のみ展示されていたことにとても衝撃を受けました。周囲の壁には何も飾られておらず、ビーズで覆われた顔と頭部の造形がストイックに異彩を放ち存在していた。このころから作品一点でいつか展覧会をしたいと、漠然と考えていたようである。その後、2015年秋に武蔵美美術館で開催された、「マリク書店の光芒」と「池田良二展」の展覧会を葉山の美術館館長でいらっしゃる水沢勉さんと一緒に見た際に、退任展をこの空間ですることになると話をしながら、ここは新作一点で展示、時系列的な展示にしない方が良いねと、水沢さんからアドバイスを受けたことがずっと心に引っかかっていた。

退任展は通常は武蔵美美術館の一番大きなスペースである展示室3のみの展示となり、当初は一部屋だけで考えていたのに、その後に展示室4、アトリウム、と計3つのスペースを使用できることになり、そうなると当然展覧会がスケールアップしてこれまでの一部屋で1点の構成を考え直さなければならなくなってしまった。

水沢さんに今回の展覧会の大きなディレクションを思い切ってお願いをして、そうした中でアドバイスを受けたのがアトリウムへの縦画面の新作によるインスタレーションだった。たしか10月の葉山での水沢さん、美術館担当者との第一回打ち合わせの時だったかしら、この時はすでに横画面の構成で描き始めていたにもかかわらず、その作品の縦長をイメージした瞬間にこの方が今の絵としては面白くなること、できると、とっさに「縦にします」と答えたことを思い出す。

8メートル近い縦長の画面は、私にとって初めての試みでもあり、アトリウムの空間性を思うと、想像をはるかに超える絵でもあり、描いてみたかったということもあるのです。

 

  11月にはアトリウムの8メートルの壁への展示を想定して、美術館担当者が模型とイメージを作ってくれて、少しづつアトリウムの空間性と作品をイメージしながら描き始めた。

縦画面に変更したせいで、ここまでに時間をだいぶ費やしてしまったこと。また、大学の授業や幾つかの他の展覧会のための準備や設営、制作(横浜高島屋、太田市美術館・図書館、BankArt、鳥取県立博物館、武蔵美美術館でのリトグラフの公開制作など)で途中の制作が遅々として進まないうちに10月になる、という時期だったように思う。

 

木炭デッサンの上に墨で骨描き(線描)、墨での骨描きは将来的に作品の絵の具が剥落しても墨の線描はしっかりと残る、墨は画面に喰いつく、という日本画の古典的技法を用いている。

線のフォルムにも抑揚をつけて、均一の線にならないように筆も何種類かの筆を用いて、骨描きの上からはさらに絵具で大きなマッスを意識しながら描いている。

 

 

f:id:aguriuchida:20190705150352j:plain

 

 

f:id:aguriuchida:20190705150539j:plain

 

 

f:id:aguriuchida:20190705153933j:plain