AGURI UCHIDA

画家、内田あぐりのブログ

沖縄取材日記 vol.7 久高島

 

1609年、薩摩の軍隊が琉球を侵略しました。久高島には薩摩屋敷が置かれ、琉球の行事を監督し、それは270年間も続きました。今でも薩摩屋敷跡は残っていて、その末裔も暮らしています。

ペリー来航時には飛舟(飛脚に対してのもの)が行き交い、久高島は南の要所であったそうです。

 

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  久高島の神殿の向かいにある「イビ」という拝所、ガジュマルの木で覆われた聖なる場所です。イビは神聖な女性器をあらわしていますが、ガジュマルの木がそうであるように「繁栄」という意味があるそうです。

私はイビに手を合わせ祈りを捧げてから、この場所をスケッチさせていただきました。

「ピ」は女性器のことでもともと鳥居の原型であり、鳥居の参道は本来は女性の産道を意味するものであったそうです。

この神殿とイビの前でイザイホーの神事が執り行われてきました。

久高島を訪れた人は、まずこの神殿を参拝することから始まるのです。

 

神殿には太陽、月、竜宮、土地、安産、長寿、火の神、の7つの神が祀られてあります。と言っても何かが祀られているのではなく、社があるだけの神聖な場所です。太陽、月、竜宮、土地は自然を崇拝するもの、火の神はゾロアスター教に近いのでしょうか。

神殿にある賽銭箱には百甕(ムムバメー)と書かれていますが、お金をいただくというのではなく、たくさんの食べ物をいただき、いつも感謝すること、という意味だそうです。

 

神殿の前で友人たちと。

 

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神殿の右側にはファガナシーという拝所があり、島の母が祀られています。島はここから始まりました。男性はシラタルーと言われ、ファガナシーとシラタルーのこの二人から島は生まれました。

縄文の世界では男たちは根の人であり、常に世界を移動していて、子供を授けてくれる丈夫で元気な男であれば、女たちにとって男は誰でも良かったそうです。

沖縄では子供はみんなの子供であり、誰が育てるというのではなく、みんなで一緒になって分け隔てなく育てるそうで、今でもそれは引き継がれています。

現在の沖縄は少子化とは程遠く、子供たちが大勢生まれているそうです。那覇の保育園はそんなわけで入るのが大変らしいですが、子供たちは4歳までは保育園で育ち、5歳になると幼稚園へ進んで小学校へ上がる準備教育を全員してるそうです。

また、母子家庭の子供たちは母親が働いている間は、近所のおばあや友人たちの家でご飯を食べさせてもらったり、生活の面倒を見てもらったりするそうです。沖縄では母子家庭のお母さんたちはのびのびと仕事と子育てをすることができるんですね、なんとうらやましい環境!!

そんなわけで、女性一人でも生きていける社会がここにはあります。

久高島も沖縄も女性達がほんとうによく働く、子供を育てている、

ここは母性の島なのです。

 

沖縄の離婚率は高いらしいのですが、ダメな男性はすぐに捨てられてしまうのですね!!

女性はいつの時代もいさぎよくてたくましいです。

 

かつての日本のおおらかなかたちが、ここではまだ続いていて、

 みんなで子供たちを育てること、ほんとうに素晴らしいことです。

 

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フボー御嶽。御嶽とは神のよりしろであり、なにも無いこと。

御嶽は木が多い場所、多木、御多木が本来の名前だそうです。

 

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台所の神様。

 

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久高島では古い一軒家を借りたのですが、部屋には貝が飾られていました。この貝はテゥカムリ、ゴホウラ貝と言われ、これらは神聖な貝で奄美大島から南しか採れない貝です。青森の三内丸山遺跡や北海道でもこの貝を見ることができますが、縄文末期に人々は南から北へとこの神聖な貝を持って移動をしていました。

おそらく縄文時代は人々が生まれることが最大の祭りごとであったことに、使われていたのかもしれません。

青森と北海道という場所でこの貝が発見されることは大変興味ふかい話ですよね。

 

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滞在したミーチャリーという家の庭。水場にシーサーがいる。

 

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久高島を案内してくださった友人のご主人と子どもたちと。友人は私の武蔵美での教え子であり、沖縄行きも久高島へ来るきっかけも私が勧めたのです。久高島の人に嫁ぎ、可愛い女の子を授かり、とてもいい顔をした素敵な島の女になっていました。

ご主人は以前は久高島の漁師さん、現在は久高島の文化や歴史を訪れた方たちに案内をしながら伝えてらっしゃいます。イラブー漁の復活や久高島の塩を作ってらっしゃる、島の未来を担う貴重な存在です。

 

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島にある食堂は3軒だけ、以前来た時はここで海ぶどう丼とゴーヤチャンプルーばかりを食べていました。久しぶりの食堂「けいさん」、あの時と何も変わっていない。

 

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