リトグラフ 石のまわりで
ーリトグラフ 石のまわりでー の展覧会が5月21日から始まります。
私はリトグラフの公開制作で参加します、公開制作は5月末頃に美術館1階で行います。
昨日は美術館内部に作られた公開制作のための場所へ、描画材やドローイング、資料などを運んで自分のアトリエの巣作りをしました。
少しでもこの場所で心地よく制作できるように、周囲の目を気にすることなく、なるべく普段の雰囲気で制作に集中できれば、と思ったのです。
画家にとって、ただその場所に行って制作すればできるという、人が思うほど公開で制作することはそう安易なものではなくて、決心がいるのですよ。
絵を描くことは、どんな些細なことでも、助走が大切だと私は思うのですね。
少しだけ入り口近くに見えるリトグラフのプレス機、石に描いたものを、このプレス機で版画の教員が刷ってくださるそうです。
それにしても、どうやってあの重いプレス機を美術館まで運んだのでしょうね!
謎です。
傍のプレス機の存在を見るにつけ、
自分の作品が刷られていることを想像すると、気持ちが高揚してくるのです。
映画「彼女がその名を知らない鳥たち」を見る
ドカジャンの阿部サダヲがいいな。久しぶりにいい映画を見たかな。
BankART Studio の手紙 横浜
お手紙をくださった方へ、どうもありがとう、
ドローイングも。
太田紀行 vol. 5 居酒屋「一平」
作品の設営が終わってからも、展覧会初日の大騒ぎしてた打ち上げも、翌日のギャラリートークの後の学生たちの飲み会も、太田の居酒屋「一平」の女将さんには大変お世話になりました。
大勢でいつも押しかけているのに、美味しいお料理を作ってくださっていて、一平のおかげで、気持ち良く太田の夜を楽しむことができました。
女将さん、私と同い年で、現役で居酒屋を切り盛りしているのです、敬服!!
それにしてもすごい美人ですよねー。
小金沢さんに撮影してもらった大切なツーショット!
そして初日の打ち上げ飲み会。昭和の大家族みたいよね。
造形大、多摩美、武蔵美、日本画も油も関係なくて、一緒に飲んで話せるのは本当楽しい。こんな飲み会ができたのもこの展覧会のおかげですよね。
太田紀行 vol.4 現代日本画へようこそ
太田市美術館・図書館で。作品の設営日は4月14日、15日。カタログにインスタレーションビューを載せるために、会期2週間前に撮影。
それにしても、カタログ、よく間に合ったよね!!担当学芸員の小金沢さん、会うたびに涼しい顔してるけど、彼の仕事量は半端ない、と思う!
太田紀行 vol. 3 下落合の家 1985年
太田市美術館・図書館で流す映像を映像作家の岡安さんが作ってくださいました。放映直前に、「内田さん、35歳頃の写真ありますか?」
ということで、他にも子供を抱いたりしている写真を送ったのだけど、なぜかこの写真が使われました。
下落合の家、 住所は中野区上高田4丁目ですが、最寄りの駅は西武線の下落合駅で、新宿は目と鼻の先。家は横板に水色のペンキが塗ってある木造の平屋で、大昔は歯医者さんの診療所、その後はインド大使館の宿舎に使用されていました。診療所だったせいか、玄関を入ってすぐ左には薬の受け渡しの窓があったり、インド大使館の宿舎だったからでしょうか、家には香辛料の甘い香りがいつも漂っているようで、中庭には大きな月桂樹の木がありました。この月桂樹をカレーを作るときには入れていました。
家のすぐ近くには神田川が流れていたのですが、川に沿って歩くと、小さな飲み屋やお好み焼きや、しもた屋の食堂があって、小学生の娘とよく川沿いを散歩して、小さな食堂でご飯を食べていた思い出が懐かしいです。
その後、写真家になった娘はインドに繰り返し旅をして、ポーラの在外研修員として1年間も滞在までして、そのうちにインド人と結婚して、子供が生まれて、
かつて、インド大使館の宿舎に住んでいたことが、なんだか不思議な因縁を覚えてならないのです。
ということを思い出させてくれる懐かしい写真でした、岡安さん、どうもありがとう。
あ、この写真、岡安さんの携帯の待ち受けになってたの、見たぞ!